【第33回】しょーちゃんコラム 哲学対話ワークショップ 名前のないてつがく 「なぜ伝統を守るのだろう?」鎌倉にて

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私の住む鎌倉には、定期的に「哲学対話」に触れる機会があります。

ファシリテーターの1人、「無名哲学」の屋号を持つ、通称「もえーん」氏の哲学対話にはよく行っていますが、新年一発目のワークショップは本当に、私の中で「様々な意味で」深いことを、多く考えさせられる機会となりました。

(写真・新春の鎌倉御成通)

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鎌倉の1年がスタートしました

もえーん氏が提示したお題は「なぜ伝統を守るのだろう?」。

私自身としては、このお題でのワークショップを楽しみにしていました。

「伝統」。

普段、私たちは、何気なくこの言葉を使っています。

「伝統」。

「守るべきもの」というより、「当たり前に守るものだ」という意識が、いろいろな人の中に無意識のうちに根付いている、そんな言葉ではないでしょうか?

世の中には、実に様々な伝統があります。

地域の伝統。 

学校の伝統。 

伝統の行事。

国を挙げての伝統行事。

そして、私の住む鎌倉と言う街こそが、まさに「伝統に形作られた街」という側面を持っています。

その様な中、「伝統を守ることの意味」を皆で語ることが出来たことには大きな意味があったように思っています。

さて、この日のワークショップでは、かなり皆さんが多くの意見を出して、白熱した会となりました。

特に印象に残った議論がいくつかあるのですが、「慣習」なのか「伝統」なのか、ということ。

この件に関して、「年賀状」の話題が出ました。

「年賀状は現代では廃れつつあるけど、古くからの「慣習」なのか、「伝統」なのか」、という話を掘り下げて白熱させて行いました。

明解な回答は出てこないのがこの「哲学対話」ですが、多くの人が「年賀状は慣習だ」という意見でした。

そして、「慣習」は、「伝統」よりも、あっさりと消える(もしくは廃れる)ことがある、と言う話も出ました。

例えば企業でのお餞別。

この日は話に出なかったけど、お歳暮なども「慣習」であり、やはりだいぶ廃れたと感じています。

そして、「慣習」と言われるものにも、「伝統」と言われるものにも、悪しきものが混ざっている、という話になりました。

例えば、スポーツ強豪校で昭和時代から繰り返し存在が確認されている「いき過ぎた上下関係によるいじめ問題」。

中には、話を聞くだけで心が痛くなるような性質のものもあります。

しかし、そこの部活の中では「これはうちの部の伝統だから」ということになり、ずっと有耶無耶になって」繰り返されてきた、というのが日本の体育会です。

「伝統」と言うキーワードを考える中で私が思い出したのは、数年前まで10年以上住んでいた東北地方の岩手県で令和の今でも、「バンカラ応援団」が生き残っている、ということでした。

「バンカラ」というと、文学作品や映画・舞台に登場する明治・大正期のインテリ層は、大体バンカラな人たちと言えるのではないでしょうか?羽織袴姿で、一升瓶片手で気勢を上げている、というような・・

東北地方の岩手県では、実はまだ一部の旧制中学系の高校に、「バンカラ応援団」が存在します。

究極の「伝統を守っている姿」と言えるかもしれません。

当人たちに「なぜ、令和の今でもそんな恰好をしているのか」と聞けば、おそらく「これがわが校の伝統だから」「これが誇りだから」という回答になるでしょう。

(実際、昨年夏も帰省時に高校野球の球場で見ましたが、日本の原風景と言う感じで、圧巻です)

理屈抜きに、「バンカラ」は、「慣習」ではなく、「伝統」なのでしょう。

そこには良いも悪いもなく、簡単には消えることはないものでもあるのでしょう。

他にも、「江戸時代から続く伝統とされているものもあれば、100年くらい前に出来た高校野球や早慶戦などの、今や国民の意識の中に伝統の年中行事としてすっかり定着したスポーツ行事もある。地域における伝統の祭りもある。それらはみんな同じ位置づけで良いのか」とか、「自然災害やコロナ禍などで中断したものもあれば、地域社会の中で・伝統の担い手・が不在になって中断、事実上の終了をした行事もある。それをどう捉えるべきか」など、活発な意見が飛び交いました。

私自身はと言えば、また前住んでいた岩手県でのことを思い出していました。県南部の水沢というところに「黒石寺」という寺院があり、その寺院が約1000年前から冬に行っていた「蘇民祭」という男たちの裸参り行事があったのですが、地域の中で継承する人がいなくなって、数年前に1000年余りの歴史を閉じたのです。いわば「地域の人たちが古来からの伝統に自らピリオドを打った」ということです。どう考えても「伝統」としか思えないものでも、人々が自ら幕を下ろすことはある。そういったことも、この日は深く考えました。

この日は、この「なぜ伝統を守るのだろう?」ということを、掘り下げて語り合いました。

「哲学対話」では、少なくとも私の知る鎌倉でのワークショップでは、「結論」を導き出すことはしません。

たっぷり考えて、モヤモヤして、そのモヤモヤをまたそこからの生活に活かす。

私はこの感覚を大事にしていきたいと考えています。

皆さんも、鎌倉で、一緒に哲学の「モヤモヤの有意義な沼」にハマりませんか?

※興味を持たれた方は、「無名哲学」と言うキーワードを検索してみてください!

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この記事を書いた人

数年前に東北地方から移住してきました。様々な人の支えでこの街でくらしています。私は歴史好きであり、さらには地域のパワーが凄いこの街が今は大好きです。外部から来た者ならではの視点で、この街の魅力を発信していきたいです

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