平澤勉さんが取り組む「3つのエコノミー」と里山再生
小田原駅から数駅。2月の梅まつり期間中には、南北に約2キロメートルにわたって広がる梅の花と、澄んだ空気の向こうにそびえる富士山を一目見ようと、1か月で二十万人もの観光客が訪れる場所があります。それが、関東三大梅林の一つに数えられ、約3万5千本(諸説あり)の農業用梅が植えられている小田原の「曽我梅林」です。

昭和3年11月、当時の下曽我村長・長谷川揆一氏は郷土史の冒頭にこう書き残しました。
「我等此の美しき郷土に生まれしことの至幸なるを喜ぶものなり」
関東大震災では建物の倒壊率が95%に達するなど大きな被害を受けながらも、先人たちが守り育ててきたこの曽我梅林が今、後継者不足を背景とした存続の危機に直面しています。

この課題に取り組む認定農家の一人が、平澤勉さん(合同会社10decades代表)です。日産自動車の研究開発部門エンジニアから農業の世界へ転じ、現在は梅約8反、キウイ約2反を、農薬・化学肥料・除草剤を使わずに栽培しています。

平澤さんが語る里山農業の現状と、それを乗り越えるために実践している、観光から就農までをつなぐ新しいローカルビジネスモデルについてまとめました。
5〜10年で後継者はほぼゼロに――データと生の声で見る、里山の担い手不足

「あと10年もしたら、交差点の信号にある『曽我梅林入口』という看板は『曽我梅林跡地入口』に変わってしまうかもしれない。それくらいリアルな危機が迫っています」
平澤さんが示すデータは、日本の農業、そして地方が直面している課題を浮き彫りにしています。

過去20年で半減、これから10年でさらに半減する農業人口
基幹的農業従事者(農業を主な仕事とする人)の数は、2005年の224万人から2025年には102万人へと、20年でほぼ半減しました。2035年には64万人まで減少すると予測されており、現在の従事者のうち約7割が65歳以上です。

資料引用:合同会社 10decades
現在、日本全体における農業従事者の割合は約1%です。明治時代初期には約80%を占めていたことを踏まえると、この産業構造の変化の大きさがうかがえます。
「自分の子どもにはさせたくない」――先輩農家たちの声
平澤さんは、曽我梅林の先輩農家たちへのヒアリングを重ねる中で、次のような声を聞いてきたといいます。
- 「ここになんで長男がいねぇのか、ちっと考えてみればわかることだ。食ってけねぇわ、体は壊すわ、みんな自分の子供にこんな仕事させたくねぇんだ」
- 「自分がやれなくなった後なんて考えてたら何も出来なくなっちまう。ただ目の前のことをやるだけだ」
- 「もう新しく苗植えようなんてやつはいねぇよ。植えたってもう自分はとらねぇんだから」

資料引用:合同会社 10decades
実際、小田原市内の梅栽培の経営体数は、2000年の約400から2020年には200以下へと減少しています。後継者がいる農家は5%に満たず、95%以上が「自分の代で終わりにする」と回答しているのが現状です。

資料引用:合同会社 10decades

担い手の減少が地域社会に及ぼす影響
平澤さんは、「これは単なる食料自給率の問題ではない」と指摘します。里山農家は、梅や米を生産するだけでなく、日常的に「鳥獣害対策」「草刈り・森林管理」「水田・水路の維持管理」といった、地域環境を維持するための役割を無償で担ってきました。
農家が減少し、耕作放棄地(小田原市内では全体の約20%、36.4ヘクタールに及ぶ)が増えることで、隣接する畑への病害虫の拡大や、イノシシ・クマなど野生動物の人里への出没増加につながっているといいます。
人が減る(動ける人が減る)→ 活動が衰える → 経済が滞る(魅力と収入の低下)→ さらに人が減る、という悪循環です。

資料引用:合同会社 10decades
この構造の中で、現在50代の平澤さんは現場では「若手」に位置づけられ、60代が中堅、70代が主力を担い、80代までが現場に立っている状況です。年齢構成の偏りは、里山の担い手を今後どう確保していくかという点で大きな課題となっています。
逆風の中で構築する「3つのエコノミーモデル」
現在の農業を取り巻く環境は、気候変動、急激な円安に伴う燃料・資材価格の高騰、世界的な食料需給の逼迫など、ビジネスの視点で見れば「逆風しか存在しない」と平澤さんは語ります。
さらに、2021年の法改正による衛生管理(HACCP)の厳格化は、個人農家が自宅で梅干しを製造して直売所に並べるという、梅干しの伝統的な生業のあり方を難しくしました。梅の生産物だけで安定した収入を得続けることの難しさも実感しているといいます。
そこで平澤さんが実践しているのが、「プロダクト」「プロセス」「ファンダム」という3つの概念を掛け合わせた、若手農家が持続可能に自立できる新しいビジネスモデルの構築です。

資料引用:合同会社 10decades
1. プロダクトエコノミー(環境負荷低減農法と6次産業化)
平澤さんは、すべての梅を自社で加工・商品化(6次産業化)しています。それにより、
- 環境負荷低減農法(農薬など不使用)への転換:平澤さんは、主に見た目を整えるために使われる農薬の使用に疑問を持ち、農園では農薬・除草剤・化学肥料を一切使っていません。これを消費者の安心のためだけでなく「作り手自身の身体と尊厳を守るため」の選択だと位置づけています。
- 外観に左右されない商品づくり:農薬を使わないことで梅の表面に斑点が出ることがありますが、味や健康への影響はなく、加工用としての流通に支障はありません。シロップや練り梅に加工することで見た目の問題を解消し、規格外とされる梅も有効に活用しています。
- 保存性と利益率の向上:生の梅は日持ちが3日程度と短いですが、梅干しやシロップ、梅酒(テキーラベースの商品も含む)に加工することで賞味期限が大きく伸び、経営の安定化と利益率向上につながっています。

資料引用:合同会社 10decades
2. プロセスエコノミー(農業体験プログラムと企業研修の誘致)
最も人手が必要で忙しい収穫期だけでなく、「花見」や「剪定」「梅干しづくり」といった、農家の日常の営みそのものを「学びと体験の価値」へと転換し、収益化しています。

資料引用:合同会社 10decades
- 学びを求める層とのつながり:一過性の観光消費にとどまらない、「食の背景を学びたい」という親子向けの食育プログラムを提供しています。2年間で5回実施し、延べ約70名が参加しました。
- 研修・合宿フィールドとしての活用:人工知能学会の市民共創知研究会「みらいらぼそが」を3年連続で誘致したほか、社会人大学院のリーダーシップ開発合宿なども、古民家を拠点に開催しています。都市部でデスクワーク中心の生活を送る参加者が、里山で薪づくりやシカの解体を体験し、焚き火を囲んで対話する場となっています。

資料引用:合同会社 10decades
3. ファンダムエコノミー(関係人口から、共創する「家族」へ)
「お金を払って終わり」の消費者から、里山を100年後へ共につなぐ「当事者・関係人口」へと接続する取り組みです。

資料引用:合同会社 10decades
- マジめし!〜一から作る本気の食卓〜:2026年で5年目を迎える、年に一度「自給率100%の晩餐」をつくるコミュニティ活動です。海水から薪を使って6時間かけて塩をつくったり、米や大豆を育てたり、捕獲した猪を解体したりしながら、半年かけて晩ご飯の準備を進めます。こうした体験を通じて、都市部の参加者が「いのちをいただく生業の豊かさ」を体感的に学び、曽我梅林との継続的なつながりが生まれています。

資料引用:合同会社 10decades
- 曽我の梅守プロジェクト:高齢化して植え替えが止まってしまった梅林を若返らせるため、都市部生活者が「梅の木のオーナー」となり、苗木から長期的に一緒に育てていくプロジェクトを構想しています。
観光から就農へ――グラデーションがもたらす未来の試算
平澤さんが目指すのは、都市と農村を分断するのではなく、地続きのグラデーションでつなぐ仕組みです。

資料引用:合同会社 10decades
- 観光(年間20万人):梅まつりなどで訪れる日帰り客。
- 再訪人口(年間1000人):果樹栽培の特性(2〜3週間に一度様子を見れば維持しやすい)を活かし、週末農業や里山体験に通う人々。
- 関係人口(年間60人):農泊や長期ワーケーション、農繁期の援農へ定期的に関わるコアな仲間。
- 就農(年間3人):二拠点居住や移住を通じて、実際に里山の新しい担い手となる当事者。

資料引用:合同会社 10decades
「栽培面積約15町(15ヘクタール)を、観光資源として最低限守るべきラインだと仮定します。高効率な栽培が可能となる低樹高密植栽培への切り替えや機械化を進めても、15名の専業農家が必要です。そして、一人当たりの耕作面積は倍増するため、一農家あたり50名、地域全体で約750名の援農体制(関係人口)の確立が必要と考えています」
鎌倉から小田原へ――「お買い物」という一票の力
イベントの後半、主催者であり、鎌倉ひとはこ代表の上岡洋一郎さんや参加者たちを交え、活発な対話が交わされました。

参加者からは、次のような声が上がりました。
「和歌山の大量生産の梅をコストコで安く買うよりも、自分が関わり、信頼できる地元の顔の見える農家さんから適正な価格で買う。その価値をどう広げていくかが重要ですね」
「鎌倉のレストランや、地域に根ざしたコミュニティと連携して、小田原の豊かな農産物やジビエの価値を神奈川全体でシェアしていければ、新しい可能性が開けるのではないでしょうか」

上岡洋一郎さんも、外の視点が入ることの重要性をこう語ります。
「地元の人にとっては当たり前の景色でも、少し離れた鎌倉などの地域から行くからこそ、その価値に気づくことができる。車で1時間ちょっと、この心地いい距離感だからこそ作れる、特別な関係人口のあり方があるはずです」
対話の締めくくりに、平澤さんは参加者へ向けてこう語りかけました。

「皆さんが日々行う『お買い物』は、自分がどんな未来に投資し、どういう世界を残したいかという、分かりやすい意思表示の一票だと思います。100年後の子どもたちに、あの富士山と梅林の景色を、いのちを紡ぐ里山の豊かな食卓を残していくために。ぜひ、一緒に曽我梅林の未来をつなげてまいりましょう」

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