8月は15日が太平洋戦争の終戦記念日であり、その前に広島と長崎の原爆記念日があることから、改めて「平和」について考える時期である。本記事では、鎌倉駅前の地下道での平和を願う展示と、私自身が先日、長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館 無言館」という、太平洋戦争で亡くなった画家の卵たちの作品を収集した美術館に足を運んで考えたことなどを綴る。

「8月」。
8月と言えば、皆さんにとって、何を思い浮かべるでしょうか。
「夏休み」
「旧盆」そして「墓参り」などでしょうか。
しかし、忘れてはならないのは、8月15日が太平洋戦争終戦記念日であるということです。
折しも今年は、終戦(日本の敗戦)からちょうど80年。
私は、親が伝手あって、当時住んでいた静岡の高校生平和団体と行動を共にしていた時期があり、かつて広島市と長崎市、つまりは原爆が投下された街へ行ったことがあります。
あの当時はまだ子供だったから、自分が「ここ」へきている意味がよく分かっていなかったと思いますが、またいつか行きたいと思います。
しかし、今はなかなか行ける距離でもありません。
今年は戦後80年の年だし、どこかでしっかり、現代で生かされている意味を考えたいと思いました。
そして、やはり遠出には違いないので財布には負担がかかりましたが、長野県上田市の「戦没画学生慰霊美術館 無言館」に出かけてまいりました。
前日に信州上田について上田城などを散策し、当日は上田駅から「上田電鉄 別所線」に乗って「下之郷」という駅まで向かい、そこから「レイライン」という循環バスで無言館へ向かいました。

無言館のバス停に着くと、そこは本当に信州の見渡すばかりの山景色が広がる山の中腹でした。


この時期の信州はとにかく、信じられないくらいに暑かったです。
あの暑さは、鎌倉の周辺をはるかにしのいでおり、屋外を歩くときは、細かな水分補給が必要でした。
海のある鎌倉周辺と信州の盆地の違いでしょうね。
いよいよ無言館に入ります。
さて、無言館に入る前、私は自分がどんな気持ちになるのか不安でした。
「戦没画学生のことをいろいろ知って、どんな気分になってしまうのか」とか‥
でもとにかく、この目で「無言館」の作品を見たかったので、とにかく中へ入りました。

言葉はいりません。
とにかく、純粋に絵画という芸術を自分の夢に定め、夢に燃えていた若者たちが、無情にも戦地へ駆り出され若い命を落としていきました。
本当に、将来を嘱望された、「生きていれば、日本画壇の巨匠にもなりえた」と、戦後、遺族が悔やんでいる人もいました。
恋人のいる人も、もちろんいました。
ある画学生は、恋人をモデルに作品を描き、召集令状が届くと、「必ず生きて還ってくる、そうしたら、この絵の続きを描くから」と言って出征して行きました。
そして、還っては来ませんでした。
パリ留学して、西洋画を極めたいという画学生もいました。
四国の農家の息子で片親の家庭、当然裕福な実家ではなかったのですが、母は「田畑を売り払ってでもお前の夢を叶える」と約束していました。
しかし、彼の夢は、戦場で命もろとも消えたのです。
全部見て、本当に何とも言えない、辛いとも悲しいとも言えない、本当に「この感情は何なのだろう・・」という感情が私を襲いました。
鎌倉からだと車で数時間、電車(北陸新幹線を使うとして)でも上田まで3時間くらい、という、行ける距離ではあるので、日本人であれば、1度見ておいた方が良い施設かもしれません。
そして鎌倉へ戻ると、広島の原爆のことを軸に、平和祈念の展示が、鎌倉駅前の地下道で行われていました。


鎌倉でも、この様な展示が行われ、平和について考える動きがあることを嬉しく思いました。
今年は15日に「金曜ロードショー」で「火垂るの墓」が放映されました。
広島の原爆と戦争に運命を翻弄された兄妹の物語で、全編を通して過酷なストーリーであるため、「二度と見たくない名作」とも言われています。
私も、内容を」思い出す限り見るのは辛いですが、今、国際的に情勢が混とんとしていて、日本もいつ巻き込まれるか分からなくなっている今、眼を背けてはいけない内容なのかもしれません。
戦後80年、8月に、いろいろと平和であるために1人1人がどうしていくべきかを、考えています。

この夏の時期に終戦記念日があることは、旧盆と重なる意味でも、意味を感じています。皆さんも、今からでも「平和であるためにはどうすべきか」考えてみませんか?
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