【後編】人生の思い出を生涯の仕事にする
鎌倉 人力車 有風亭・青木登
――「鎌倉のひとに学びつながる」
■前編のあらすじ
前編では、鎌倉 人力車 有風亭の創業者・青木登さんが、
なぜ人力車という道を選び、42年間走り続けてきたのかが語られました。
バリバリのサラリーマン時代、
理不尽な評価制度によって味わった悔しさ。
その帰り道、週刊誌で目にした一枚の写真から始まった人生の転換。
「計画を持って始めたわけじゃない」
「見た瞬間、直感で“これだ”と思った」
少ない資本、前例のない仕事、
鎌倉市民からの冷たい視線。
それでも青木さんは、人力車を引きながら問い続けます。
“この仕事は、鎌倉の風景を壊していないか”
前編は、
仕事とは何か、誇りとは何かを静かに突きつけてくる回でした。
▶ 前編の動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=FbXbUNPtnRg
■人物紹介|鎌倉 人力車 有風亭・青木登さん
昭和59年、名古屋より東では初となる観光人力車を鎌倉で創業。
42年間現役として人力車を引き続け、
延べ1万1000組以上の花嫁・新郎新婦を運び続けてきた人物です。
地球約2周分に相当する距離を、
エンジンなし、自分の足と体だけで走破。
「体は1台目。
車は5代目だけどね」
そう笑って語る姿に、
長い年月を生き抜いてきた人だけが持つ軽やかさがあります。
■後編のテーマ①|人生を“やり切る”という感覚
後編で強く印象に残るのは、
青木さんが引退について語るときの言葉です。
「すっきりしました」
「100%やり尽くした。悔いはないです」
77歳での引退。
体力の衰え、若い頃の古傷。
それらを悲観する様子は一切なく、
むしろ清々しいほどの納得感がありました。
雨の日も、風の日も、雪の日も。
台風の日ですら、結婚式は待ってくれない。
42年間、一度も穴を開けなかった。
この事実が、
青木さんの言葉すべてに重みを与えています。
■「鎌倉の風景の一部」であること
青木さんが、
42年の仕事人生で最も嬉しかった言葉。
それは、
「あなたの人力車は、鎌倉の風景の一部だね」
売上ではなく、
賞でもなく、
数字でもない。
町に溶け込んでいるかどうか。
客引きはしない。
品格を崩さない。
鎌倉の歴史と空気を壊さない。
その結果、
売上は決して高くなかったと言います。
それでも、
「いい仕事をしているという自覚はあった」
仕事を“経済”だけで測らない。
そんな昭和の職人気質が、
いま改めて新鮮に響きます。
■人と接することが、すべての学び
「学びとは何か?」
そう問われたとき、
青木さんは少し考え、こう答えます。
「人と接することが学びだろうね」
失礼な呼び方をして叱られた経験。
言葉遣いを学んだこと。
相手を知ろうと努めた時間。
それらすべてが、
人力車を引く“技術”以上に大切だったと語ります。
本やお金で得る学びもある。
でも原点は、
目の前の人とどう向き合うか。
この言葉は、
どんな仕事にも通じる本質です。
■次の世代へ|観光の町・鎌倉への願い
長年、鎌倉を見続けてきた青木さんは、
これからの街づくりについても率直に語ります。
インバウンドが増え、
混雑や摩擦が生まれる中で必要なのは、
「ちゃんと考えること」
「時代に合わせて変えること」
観光税の導入など、
現実的な提案も含め、
“来る人”と“暮らす人”が
どちらも気持ちよくいられる鎌倉を願っています。
■理想の姿|可愛いおじいちゃんを目指して
最後に語られた、これからの目標。
「健康で、楽しく暮らすこと」
「可愛いおじいちゃんになること」
怒りっぽくならず、
素直で、笑顔でいる。
42年間全力で走ったからこそ、
次は力を抜いて生きる。
その自然な切り替えもまた、
とても美しく感じられました。
■後編のまとめ
後編は、
・人生を“やり切る”という覚悟
・仕事を風景の一部にするという思想
・人と接することを学びの中心に置く姿勢
・鎌倉という町への深い愛情
・引き際の美しさ
が、静かに、しかし力強く語られる回です。
悔しさから始まった人生が、
誰かの人生の節目を運び続ける仕事へと変わっていく。
「今は悔しくても、それが後に宝になるかもしれない」
青木さんの言葉は、
今を生きる私たちへの、
あたたかなエールのように響きます。
▶ 後編の動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=0DaRJzvGQ48





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