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しょーちゃんコラム 「哲学で対話する会」

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こんにちは、しょーちゃんです。

今回は、鎌倉で定期的に開催されている「対話会」について取り上げたいと思います。

鎌倉や近郊の町には、「対話」や「哲学」でワークショップを行い、参加者をその世界へ導ける人が何人もいます。

その人によって「色」が違いますが、「哲学」をベースにされている方、「焚火のような感覚の対話」をベースとされている方(しょーちゃんの主観も入っていますが)などがいて、間違いないことは、どの方の対話会に出ても、「物ごとへの考え方が深まる」ということです。

ファシリテーターによって、固定参加メンバーも違うし、毎回違う「お題」にとなるファシリテーターもいますが、どのファシリテーターでも、そのお題、話し合ったことについて、皆が深く考えます。

先日は、鎌倉駅前のソンべカフェで「人それぞれ、という言葉で、世の中すべて説明できるか」ということについて話しました。

この言葉は、至極まっとうな「正論」と言う形で、使われることが多いと思います。

私自身、様々な局面で「まあ、それは人それぞれだからな」という言葉で片づけてしまった事が今までの人生、よくありました。

しかし、そんな言葉では簡単に片づけられないことがすぐわかるほど、皆が多くの意見を持っていました。

私自身、労働に関する「価値観」が人によって本当に違うと感じてきたことや(それが人生そのものとして、そこに生きがいを求めている人も、あくまで余暇を楽しむために働いている人や、あるいは生活のために仕事をしている人も、様々な人を見てきたので)その一方で価値観の違いをお互いに受け入れられないことから、不幸な人間観関係の終わりに帰結する事例などを多く見てきましたが、(話が大きくなりますが、人類の歴史はまさに日本史も世界史もこういったところから来る争いが拡大して、そして利権が絡み、という不幸な争いの歴史だったと思います)が、そういうものであるからこそ、その日の議論は白熱したと思います。ちなみに、ファシリテーターによっては、「結論」は出ません。考えて、話し合って、モヤモヤを抱えて帰ってからさらに考える。これこそが醍醐味なのかもしれません。

ちなみに、「会話」の定義は、「2人、または数人が、互いに話したり聞いたりして、共通の話を進めること。または、その話」ということであり、これに対して「対話」の、「会話」との相違点とは「目的があるのかどうか」だと言われています。

そして、「会話」は日常の中で行われますが、それに対して「対話」は通常のコミュケーションでは解決できないような問題が発生した際に、あえて相互理解を深めるような場を用意して行うことが特徴だと言われています。

私自身、今年からこの対話会に出るようになって、物事を深く掘り下げて考え、突き詰め、相手としっかり同じことについて考える、そんな時間が持てるようになったのは、きっと有効な時間になっていると感じます。

これからも「対話」のワークショップに出たいです。

鎌倉にはそうしたものに触れるチャンスも多くあると感じています。

しょーちゃん
しょーちゃん
鎌倉で開催されている「対話」のワークショップについてです。皆さんもじっくり、自分と、そして周りの何気ない事象と、一度向き合い、皆で共有しながら考えてみませんか?

投稿者プロフィール

しょーちゃん
しょーちゃん
40代男性。転勤族の子どもとして生まれたため生まれ故郷が無いことが今となっては各地と知ることが出来た強みでもあり、絶対的アイデンティティがないという弱みでもあります。
これから、この鎌倉にまつわることを中心に様々に発信していきます。趣味は読書とか、旅行とか様々にありますが、趣味というより生き甲斐はTHEYELLOWMONKEYの世界観に触れること、静岡育ちなので大相撲の静岡出身関取を応援すること、地域の人々と語らい、多くの刺激を得て、自分もパワーをもらうことです。

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