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曖昧さがちょうど良い

ひとはこのこと
ひとはこのこと

夏の日差しが照りつける昼下がり、私はお客様の依頼で土地の写真を撮りに出かけていた。熱気でふらふらと歩いていたところ、ふと目に入ったのは、風がそよそよと通り抜ける怪しげな小道だった。

鎌倉では、道がぷっつりと途切れたり、行き止まりに出くわすのはよくあることだ。しかし、この道は何かが違った。道路から急に幅が狭くなり、まるで町の中に隠された秘密の入口のように、道はわずか40センチほどの狭さになっていた。

周りを見渡すと、古びた万年塀が歪んで膨らみ、その道を挟むように両側に立っている。自転車ですら通るのが難しそうだし、人がすれ違うのも困難なほど。これは本当に道なのか、それとも何か他の空間なのか、まるで時間が止まっているかのような感覚だった。

それでも、不思議なことに、その小道だけは涼しい風が抜けていた。鎌倉の街中にこんな隠れた道がまだ残っているなんて、思わず微笑んでしまう。

こんな小道を見つけると、街そのものが古くからの歴史を持っている証拠のように思える。もちろん、法律や現代の安全基準から見ると、この道は危険と判断されるだろう。いずれセットバックされ、広い道路に生まれ変わるかもしれない。でも、この曖昧な境界線が、鎌倉の魅力の一部ではないだろうか。

私たちは、日々の生活の中で、こうした曖昧さに気づくことなく通り過ぎている。でも、その曖昧さが、街に豊かな歴史や温かみをもたらしているのかもしれない。いつかこの道が姿を消す日が来るだろう。しかし、今この瞬間、散歩の途中でこんな道に出会えたこと、それが何よりの幸せだと思う。

鎌倉の街は、曖昧さを許容し、自然と共存してきた場所だ。古いもの、新しいもの、そしてその狭間にあるものすべてが、共に息づいている。そんな街が、私は大好きだ。

 

記事:上岡 洋一郎

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上岡洋一郎
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