4月2日は、「世界自閉症啓発デー」とされており、各地で自閉症のシンボルカラー「青」を基調とした、様々な啓発イベントが開催されている。
ここ鎌倉では、毎年、この時期に発達障害児者の療育機関「たすく」が主催となって、「自閉症啓発ブルーウオーキング」が開催されている。
今回の記事では、先日開催された「自閉症啓発ブルーウオーキング」について感じたことなどを取り上げていく。
皆さんは、周りに何かしらのハンディキャップを持たれた方はいらっしゃいますか?
世の中を見渡すと、声高に政治家や評論家たちなどが「共生社会」などのスローガンを叫んでいます。
しかし、実際、今、私たちの住む、この日本社会は、住みやすいでしょうか?
実際、私自身、自閉スペクトラム症という、日本社会ではとりわけ生きにくいハンデを背負って生きています。
「暗黙の了解」であるとか「マルチタスクにこなす」なにより「人の気持ちは雰囲気で理解しろ」と言われても、「自分は超能力者ではない」としか思えません。
しかし、それを求められるのが日本の伝統的社会です。
常に、「平均的な人間に生まれてきたかった」と思い、コンプレックスと格闘しながら半世紀近く生きてきました。
しかし、そんな人間だからこそ、精神や発達障がいの人のみならず、いろんなハンディキャップのある人たちと知り合ってきて、人生を送ってきたことも事実です。
「盲ろう者」の生活も観てきましたし、肢体不自由の友人も何人もいます。
多くの「ハンディキャップ=困りごと」を抱えた人々のリアルな課題を知りながら人生を歩めてこられたことは、私事ながら、貴重な経験をしてこられた、という見方も出来るかもしれません。
そして今、自閉症など、多くの「発達障がい」を背負った人々が通い、その家族も関わっている、「たすく」という療育機関の関係者になっています。
以前このコラムにおいて、「たすく」で主宰している、自閉症の人や、発達障がいの人、その家族が参加する日曜日のノルディックウオーキングについて取り上げました。
参考までにその時の記事がこちら
→【第12回】しょーちゃんコラム「たすく家族会・ノルディックウオーキング」 | ひとはこ
この記事を見て頂ければお分かりいただけるかと思いますが、このノルディックウオーキングには、様々な目的がありますが、大きな主旨の1つに「啓発活動」があります。
障がい者を狙った大きな事件が起こった直後だけ、声援が飛ぶのではなく、「街に、ハンデを持った人たちが当たり前に存在し、歩いているのが当たり前」になるように。
鎌倉地区では、たすくの拠点がある他の地区よりも、ノルディックウオーキングが頻回に行われており(ほぼ毎週日曜日に開催されています)家族会活動という「横の繋がり」も広くなっていると感じます。
そんな集団が、普段から、隊列を組んで歩いているわけですから、地域社会への「働きかけ」という意味では、抜群の効果ではないでしょうか。
特にこの日は、ほぼ全員が「青」の服に身を包み、「自分の意思で、歩くのだ」という行動をしているわけですから、本当に地域の人々に「無言」で語りかける意味では絶好の機会でした。
しかし、開催された4月6日は、残念ながら途中で雨が強まりました。
そのため、ウオーキングの距離を短縮して歩くことになりました。残念ですが、仕方ないことでした。
その後、発達障害のあるメンバーが飼育している「メダカすくい」のイベントや、理解啓発のためのイベントも行いました。
しかし、普段のノルディックウオーキングに参加していることでも、啓発活動になると思うので、私自身も忙しい時もありますが、月に1度は参加したいと思います。
最後に、私自身、発達面に困りごとを抱え、メンタル不全も抱えていますが、身体面の困りごとを抱えた人も恐らくそうだと思いますが、この社会の中で「差別」や「心無い声」に直面しがちです。
私自身としても、「平均的な人間に生まれたかった」と、いつまでも憧れを抱き続けているのも、「内なる差別意識」が自分に内包されているのかな、とは自覚しています。
今の子ども社会では少なくなっているようですが、私たちの子どもの頃は、子どもの頃に学校などの子ども社会で、今にして思えば差別的な言葉が日常的に飛び交い、私も知らず知らずのうちに人を傷つけてしまった覚えがある、そんな時代でした。
本当に私事になりますが、高校の時、隣のクラスに、今思うと、完全に自閉症の生徒がいました(大人になって知った、自閉症の特徴がそのまま出ていた人でした)
周囲は彼をよってたかって虐めていましたが、実は私も少し加担してしまった覚えがあります。(本当に30年近くたっている今でも後悔しています)
なぜ、そうなってしまったか?
私も、周囲も、「結局は一人の人間」この当たり前のことに、気づかないでいたからでしょう。
ハンデを抱えた人でも、1人1人特徴や困りごとが違います。
それを知り、理解し、受け入れて行く事は、確かに他人からしたら容易ではないと思います。
しかし、今までの私の経験から言って、「どんな困りごとがあって、人に迷惑をかけて生きているように見えても、1人の人間」これは今、断言できます。
ノルディックウオーキングなど、たすくの家族会活動に一度参加すれば、このことを「自分ごととして」捉えられるようになるかもしれません。
この鎌倉が、そして社会が、万人にとって住みよい社会になるように。
実現が難しいですが、願ってやみません。
また、似たような機会があれば、新しい感覚で、新たな鎌倉を見つけていきたいです。

みなさんもたすくのノルディックウオーキングに参加し、多くの困りごとを抱えた方、家族と交流して、「ありのまま」に触れて、そこからまた各自の立場で考えてみる機会、あっても良いかもです!!
投稿者プロフィール

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40代男性。転勤族の子どもとして生まれたため生まれ故郷が無いことが今となっては各地と知ることが出来た強みでもあり、絶対的アイデンティティがないという弱みでもあります。
これから、この鎌倉にまつわることを中心に様々に発信していきます。趣味は読書とか、旅行とか様々にありますが、趣味というより生き甲斐はTHEYELLOWMONKEYの世界観に触れること、静岡育ちなので大相撲の静岡出身関取を応援すること、地域の人々と語らい、多くの刺激を得て、自分もパワーをもらうことです。
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